今日のお話しから感じたことを書きます。
「神様と共にいると天運があります。
神様と共にいるには神様が共にいたいと感じてくれなくてはいけません。
神様が共にいたいと思うのは、自分より人の為に生きようと努力する人」
ここで、逆説的だけど
天運が欲しい人は、自分が発展したいからという理由が多い。
けれど、それでは天運はない、ということ。
残念ながら
天運を頼りにするなら、自分を中心とした考え方や生活はしない、となります。
自分が食べたいものではなくて、家族が食べたいものを作る、とか
自分が好きな仕事ではなくて、同僚が助かる或いは嫌がる仕事をする、とか
になるのかな
こんなお話もありました。
神様はアダムとエバに禁断の木の実を取って食べてはならない、という責任分担を与えました。けれど、そのみ言葉を破り、取って食べてしまいました。
それで、神様がアダムにどうしたのか、と尋ねたとき、エバのせいにしました。
それでエバにどうしたのか、と尋ねたとき、へびのせいにしました。
へびが責任を取ったので、この世の主人になったのです
つまり、
責任を取る人が主人になる、その場にいようといまいと、関係がなくても責任を取る人が主人になるということ。
そして、アダムがエバが私が悪いのです、と責任をとっていたら、復帰の摂理はすぐに始まり今のような悲惨な世界にはならなかった。
間違えたとき、すぐに間違えました。すみません、私が悪いですと、素直に認め反省することがとても大切ということ。
そのような人には神様が主管できる、相対できる、基台ができる
なぜ、アダムとエバを神様は止めなかったのか、と不思議に思いました
その答えも教えていただきました。
神様は非原理的な行いに干渉できない、原理的な行いにのみ干渉できる。
祈り (神様、隣人、万物に感謝する)
悔い改め (自分と向き合い、涙が出るほど真剣に)
決意 (信じて、行う)
具体的に教えてくださって感謝します。